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空白の翻訳

by 1031jp

2016年12月29日6:00

「覚えるほど聴いたアルバム」を作ったアーティストがまたひとり亡くなった。ちょうど先週も、トラックづくりの参考にそのアルバムを聴いていた。87年に発売されたソロ・デビュー・アルバム。打ち込まれたリズムトラックのチープなサウンドが、いかにも80年代らしくてたまらなく愛おしい。

 

 

今年は大掃除をする時間はないと思っていたけど、幸いなことにそうでもなくなった。昨日の病院からの帰り道、郵便局に入ろうとしているぼくの左ポケットを震わせた一通のメールが、ぼくに少しだけ人並みの年末をもたらした。

 

そんなわけで、少し余裕ができたので今日は一日じゅう家の掃除をしていた。すごく疲れて、鼻水が止まらなかったし、くしゃみもいっぱい出たし、ゾクゾクしたし、風邪のひき始めみたいにぐったりしてしまった。それでさっきすごく眠くなって、電気を点けたまま布団に横になっていた。そのまま寝てしまえば、ぼくにしてはずいぶん早寝ということになる。まともな時間に眠くなるなんて、とてもいいことじゃないか。

 

意志は弱いし、欲望にはほとんど流されるのに、なんで寝なかったんだろう。なぜかがんばって起き上がり、おまけにビールまで飲んでしまう。アルコールはぼくの病気に直接悪影響を及ぼすことはない。足の方は別だけど、そっちは悪化しないままもうすぐ10年が経とうしている。声の大きな外科部長ももう定年だ。ただ、不規則な生活はぼくの病気の天敵だろう。

 

でも、ビールを飲みながら短編集を読むのはすごく幸せだ。旅先のビジネスホテルを思い出す。前にビールでこの短編集をやったのは、京都のビジネスホテルの狭いユニットバスの中だった。

 

 

大人になってからも「覚えるほど聴いた」コレクションを増やすことが可能なのは、経験から自信を持って言えるが、とはいえ、人生でそう何枚も出会えるものではないだろう。特に、子ども時代に覚えるほど聴いたアルバムは、その人の耳を決定づける。

 

ぼくが子どものころ覚えるほど聴いたアルバムを丁寧に思い出していくと、ぼくの音楽のだいたいのことがわかる。創作していて自分の居場所がわからなくなったとき、そこに遡ることで解決する。ロックはさほど多くなく、ましてやバンドものは果たして何枚あるだろうか。

 

ロックとかバンドというキーワードにのめり込み始めたのは、14歳のとき。入院生活の暇つぶしに、いまも使っているフェンダーストラトキャスターと、エドワード・ヴァン・ヘイレンが表紙のヤングギター誌を与えられてからだ。ちょうどクリスマスとか年越しを病院で過ごしたから、発病時は13歳だったのかな。

 

音楽は記憶装置。それを聴いていたときの自分を思い出させる。覚えるほど聴いたアルバムの記憶は、失われてしまった幸せな生活の記憶だ。ぼくは音楽を抱えたまま、自分の身に起こってきた喪失を乗り越えることはできるんだろうか。それらは、あまりに密着しすぎている。

 

 

短編集を裏表紙から何枚かめくると、86年に初版が刷られ、89年の12版とある。ちょうど、ぼくが何枚かのアルバムを覚えるほど聴いていた時期のものだ。ぼくはもうとっくに、いろいろなことを自分で考えて、自分で生きていかないといけない。

 

 

(2016年12月29日6:00)