空白の翻訳

by 1031jp

2016年10月9日

気候のせいか、困窮が極まっているせいかわからないが鬱がひどく、寝てばかりいる。こういう睡眠は気持ちの良いものではない。もう何のせいにもするな、単に自分がクズなだけだと思ってみても浮上の足がかりにはならない。家事が満足にできないレベルまで来ているので厄介だ。

 

今日もだめだったと暗鬱たる気持ちで缶ビールを煽り、自己嫌悪にまみれた酩酊の中で明日こそはとの誓いとともに陽が昇ってから眠り、午後に目覚めるとよし今日はやるんだと自分に言い聞かせる。それを繰り返している。

 

今日は起きるなりオーディオ・インターフェースの電源を入れ、ヘッドフォンを手繰り寄せ、プロツールスのセッションを開いた。久しぶりに日曜のラジオを聴きながら気分良く電子メールを捌き、洗濯を2周し、雑事を済ませたら今日こそは作業に着手できる気がしたのに、だめだった。起きて3時間ほどが限度だった。

 

インターネットを覗くと皆盛んに活動している。声高に音楽の素晴らしさを語っている音楽家やその周囲の連中。気持ち悪くてしょうがない。目に入るものすべてが気に入らない。また見るのをやめようと思う。今回のソロ活動を勝負どころと捉え、ここでやらなければいつやるんだと覚悟を決めたつもりでいろいろ目に入る状態にしたのが良くなかった。さまざまな人間関係の構築・修復やその維持などもあっさりキャパを超えた感がある。やはりここまでの人間なのだろうかと諦めに似た心境にもなるが、ギターを弾いたり曲を書いたりすると楽しく、前向きな気持ちになる。なんとかもっと集中できる状況を整えたい。敵は自分自身なのだ。

 

人生やりたいことをやればいいのだが、やりたいこととは何かを考えたときにパッと浮かぶことと、芯からやりたいこととは違うと思う。パッと浮かぶものは欲望との区別がつかない。めんどくさい、寝っころがりたい、お菓子食べたい、酒飲みたいなどと変わらないかも知れない。

 

ただ、自分は苦労しなければ何も手に入らないという考えに囚われすぎて人生を送ってきたようにも思う。そのセルフ洗脳からは脱出したい。楽になりたい。楽しく人生を送れればそれに越したことはない。

 

考えてみれば、ベースの部分で楽しいと感じながら生きていたことがないように思う。楽しむとか幸せを感じることは甘えだと自分を律してきたところがある。おかしな奴だ。どうしてこうなったんだろう。笑いながら生きる仕組みが自分の中にない感じがする。笑いながら生きてみたいものだ。過去や未来のことを考えると吐きそうになる。

 

あと数本弾き語りのライブが決まっていて、ちょうど今月末日にすべて終わる。その後のことを少し考えたい。それにしてももう10月だ。

 

ぼくは音楽が大好きで、病的なレベルで音楽に囚われているが、それは幼年~少年~青春時代の自分と音楽との関わりに原因があると思っている。ぼくの音楽愛は一方で音楽に呪われているということもできる。引き剥がせないのだ。だからある意味でじゅうぶんに憎む対象でもある。音楽に救われてきたことは間違いないが、わざわざ声高に素晴らしいものだと喧伝するものではない。宗教じみたものはなんであれ大嫌いなのだ。いつの間にか音楽と刺し違える気でここまで来てしまった。もう戻れない。