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空白の翻訳

by 1031jp

David Bowieが亡くなった。1/11のことだ。

1/8に69歳の誕生日に合わせて新譜をリリースすることがアナウンスされてから、

ぼくはその日を心待ちにし、先行配信されたシングルを何度も聴きながら、期待に胸を膨らませていた。

1/6に一度、勘違いしてitunesにアクセスしてしまったほどだ。

 

待ちに待った新作『★(Blackstar)』は、やはりシーン最先端のサウンドだった。

過去にとらわれず、変化を恐れず挑戦し続ける彼から、今までもどれだけ勇気をもらったかわからない。今度もそうだった。

「かっこよさ」というテーマにおいては、彼が世界でいちばんだ。

 

1/8からは、自分の音楽の作業をしているとき以外は『★』を聴き続けた。

『★』は彼のキャリアの中でも最高傑作の一枚に数えられるだろうし、ぼく自身も大好きな一枚になった。子どものころからのヒーローがこんなにエキサイティングな新作を聴かせてくれたことが嬉しく、幸せな気持ちで3日間を過ごした。アーティスティックなPVも最高だった。おじいちゃんになったけれど、しっかり演技をしているボウイの姿を見て頼もしく思った。彼のこの次の作品はどうなるだろうかと、ぼくはそんなことまで考えていた。

 

前の日、朝方まで音楽の作業をし、気が張っていたためか、日が昇っても寝付けなかった。午後になって目を覚ますと、世界は変わってしまっていた。数時間前までニューアルバムを聴いていたその人が亡くなっていた。それはあまりにも大きなショックと悲しみだった。それから、ぼくはやっぱり『★』を聴き続けた。LowもZiggyも、ほかのアルバムはなんだか気分が乗らなかった。自らの死を前提にして作られたアルバムだと思って聴くと、すっかり聴こえ方も違う。生涯聴き続ける愛聴盤になることは間違いないけれど。

 

ぼくが幸せだったのは、1/8からの3日間、物語が彼の死という章に進む前に、『★』をたくさん味わえたことだ。いま、『★』は彼の死というファクターなしでは聴けない作品になってしまった。しばらくは、誰にとってもそうだろう。そうなる前の限られた3日間に、ぼくは潜り込めた。世界じゅうの熱心なファンたちと一緒に。それはほんとうに、とても幸せなことだったと思う。

 

2013年、隠遁生活から10年ぶりにカムバックすると同時にシーンの前線に躍り出た『The Next Day』に打ちのめされてからは、彼はぼくが最も動向に注目するアーティストの一人だった。合間に発表されたシングルも最高にスリリングだった。いま聴くと、『The Next Day』よりも、『★』の方が断然、先端だ。当たり前だがそういうことだ。

 

彼について振り返るとき、ぼくはぼくの人生そのものを振り返らなければならない。

ぼくはまだ、ぼくの人生がいまこういう状態であるということについて、

きちんと向き合うことができないでいる。

彼は、ぼくの人生のカラーを決定づけている核心にあたる部分と密接に結びついている。

だから、ぼくはまだ彼について語ることはできない。

 

ただ言えるのは、少年時代から彼の音楽はずっとぼくのそばにあり、

最もたくさん聴いてきた、最も好きなアーティストの一人だということ。

そういうアーティストを失ったとき、ぼくはこんな風に悲しく打ちひしがれ、おかしくなってしまうのかということ。

 

その人について語るとき、ぼくの人生について語らなければならないという人が、まだ何人かいる。マイケルはもういないけれど、これからもっと、そういう存在を見送ることが増えていく。すでにシーンから退いているミュージシャンや、そうでなくても旧知のメンバーを集めて往年のサウンドを鳴らしているような大御所ミュージシャンの、天寿を全うしたと言える死ならば、もっと穏やかに見送ることもできるだろう。音楽家として死ねたのなら、それはいい人生だったじゃないかと、そう思える訃報もあった。David Bowieの死にこれほどまでに動揺してしまったのは、彼がたった3日前に最高のアルバムをリリースし、現役感に溢れていたからだ。やっぱり、彼は特別だった。

 

かっこよさとはポップミュージックであり、ポップミュージックとは「声」であると教えてくれたDavid Bowieは、最期まで表現者としての生き様を見せてくれた。アーティストとして生きるなら、そうでありたい。

 

今日はとても寒く、朝には冷たい雨が降った。Lowがぴったりな気分だったので、Lowを聴いた。とてもしっくり来た。さっきZiggyも聴いたし、ほかのアルバムも聴いた。彼はたくさんの素晴らしい音楽を遺してくれた。ほんとうにありがとう。